ライター(大学ジャーナリスト)石渡嶺司のブログ


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ライターと社会問題のかかわり方

 最近はフェイスブックでの更新が中心でこちらでは更新をさぼっていた石渡です。
 たまにはこちらでも。
 ということで、今回のテーマはライターと社会問題との関わり方です。
 改めてご説明すると、私は大学、教育、就活、転職。この辺りを主テーマとして記事や本を書いています。と言いますか、これに外れたテーマはほぼ執筆経験なし。
 曲りなりにもこれで10年近くライターをやらせてもらっています。で、10年もやっているとですね。まあ、色々なご意見があちこちから出てきます。
 多いのが、「就活関連の記事・本で生活費を稼ぐ、ということはずっと就職氷河期であることを内心望んでいるのではないか?」というもの。最初は、へえ、そんな風に思われちゃうのか、と流していました。が、長くやっていて毎年、そうしたイチャモン、もとい、ご意見が出ています。まあ、いい機会なのでここで整理して自分の立場をご説明したいと思います。
 結論から言うと、就職氷河期であっても売り手市場でもあってもどちらでも構いません。もちろん、記事・本を書く以上は就職で悩む学生の助力になれば、と考えながら書いています。ありがたいことに、私の記事・本を読んでよかった、と言ってくれる読者もいます。
私が就職氷河期の継続を内心で望んでいる、と主張される方は「就職氷河期が続けば毎年就活問題が注目されることになる。その分だけ、石渡はコメントや記事依頼などが来て儲かるはず」と考えられているようです。実際にこれに近いことも言われました。
ま、確かに就職氷河期の年は就活問題への関心が高くなります。関心が高くなる分、コメント・記事依頼が来るのも事実です。
 ほーらみろ、という方は2つ誤解されています。まず、就職氷河期から売り手市場に変わったとしても、就活が全く注目されない、ということはあり得ません。コメントや記事依頼など表面的なものが多少増減する程度。売り手市場になればなったで、学生は悩まなくて済みますが、今度は採用担当者が頭を抱えることになります。
 それから次に、私の本籍と言いますか主テーマは就活ではなく大学です。仮に就活関連での記事や本執筆がゼロになったとしても大学関連での記事・本の依頼がゼロになることはありません。
 つまり、どっちに転んでも食いはぐれることはまあないでしょう。

こう説明しても「自分が解決したいと思っている問題のお陰で生活できるのは矛盾ではないか?」とする方もいます。しつけーなー。
ごほん。世の中のあらゆる矛盾を認めない、というのであれば、はあそうですか、としか言いようがありません。しかし、どうなんでしょうね。世の中、これくらいの矛盾はいくらでもあるはず。
 え?ほかの矛盾はいいから、お前の矛盾を話せ?しつけーなー。ごほん。まあ、矛盾でしょうね、確かに。自分自身も矛盾を感じていますし、だからこそ、自分のやっていることはいかがわしい部分もあるわけです。そうした部分を認める、というかわきまえる必要はあるだろうとは常に自戒しています。
 自戒してどうするか、というと、たとえば、就活相談に乗ってほしいと学生が言ってきたら、対応する。ただし、それで相談料などは取らない(お茶代くらいはおごる)。講演なども学生主催なら場合によってはノーギャラで受ける、などです。

 「就職氷河期を期待」とのご意見で似たようなところが「就職問題を解決するために執筆だけでなく運動に参加したり、あるいは政治家になることを考えないのか」
 というもの。
 はあ、運動ですか。政治ですか。ま、確かにそういう方向に行くライター・ジャーナリストはいます。私の知人である公務員問題に詳しいジャーナリスト、若林亜紀さんは2010年の参議院選挙に出馬(落選)、今年2013年の東京都議選にも立候補されています。有田芳生さん、田中康夫さんなども元は執筆活動をされていました。
 こういう方々を私は否定しません。彼らは彼らで矛盾を抱えていますが、それは彼ら自身の問題です。それに執筆活動から詳しくなった問題について政治活動で解決しよう、とするのは方法の一つではあります。政治活動にまで行くのかそうでないのか、それはもう趣味の問題です。で、私については、まあそういう方向はないな、と考えているわけです。繰り返しますけど、どちらが正しい、という問題でなく。その人次第なんです。
 そういうのをわかっている人ならいいんですが、問題はそうでない人。『就活のバカヤロー』はじめ就活関連の本をたくさん書いているなら自分の運動も応援してくれるだろう、とかね。書名を横断幕に勝手に使用する程度ならまだ黙認しますが、応援を強要してきて断ると感情的にぎゃあぎゃあネットで騒ぐ方がいました。まあ、ネットで騒ぐ程度ならこちらがスルーすれば済む話なんですが、仲間が内定を貰えそうになると内定辞退を強要したという話を聞いて、だっさーと思いましたね。人のことを矛盾だ、就活生を食い物にしているだなんだと非難しておいて、貴様は仲間の内定すら祝福できないのはおかしいじゃないか、それ単なる運動屋じゃねえか、と話したらそいつは黙り込んでしまいました。やだやだ。
 運動屋というのは、あちこちの運動に交渉者として出没する存在のことです。それこそ、運動の解決を主張しつつ、いかにこじらせて自分の存在を高く売りつけることが生存理由となっている、悲しい存在です。私の知る運動屋は私が以前、一緒に講演をした某学生にも声をかけ、運動に引き込もうとしていました。この某学生(もちろん今は社会人)は賢い方なので断っていましたが、そういう場面を目撃して以来、なおさら運動屋が嫌いになりました。それから、運動屋のだけはなるまい、と強く考えるようにもなりました。

 話を戻します。先ほど、自分のいかがわしさを認めて自戒する、とご説明しました。それは運動屋にならない、ということも含みます。
 なんて話もたまに書いてみた次第。おあとがよろしいようで。
by reiji0 | 2013-06-16 16:38 | 日記